江戸の長屋

新婚のわたしたちは大きなショッピングモールに来ていた。

エレベーターに乗ると、入って左手手前の頭上にボウガンを改造したような罠があった。罠には赤いテープが貼られていて、何語だかよく分からないが、危険ですよと書いてあるのは明白だった。それに触ると目をやられるから気をつけなさいと夫が言った。しかし左手手前のエレベーターを操作するスイッチを押すのに不便で危険だから、他のエレベーターにしましょうとわたしは提案した。夫は子供のわがままを仕方なく聞くような表情をして、わたしの手をつないでそのエレベーターを出た。

隣のエレベーターが到着したので乗ると、やはり左手手前の頭上にボウガンを改造したような罠があり、先ほどのエレベーターと大して変わらなかった。もう一つ待ってみてもやはり同じ罠付きのエレベーターだった。遠方の開いているエレベーターを見ても、やはり同じ罠があるようだ。しかたなく目の前のエレベーターに乗った。ましなことと言えば、罠のボウガンらしきものの大きさが、はじめのエレベーターよりも半分の大きさになっていたことだった。

エレベーターが到着すると、そこはわたしたちの住む家だった。すきま風が吹きすさぶ江戸の長屋のような家だった。

家には舅も住んでいる。風貌はコーエン兄弟ノーカントリー』で先日助演男優賞を取ったハビエル・バルデムのような男だ。といっても『ノーカントリー』映画内のハビエル・バルデムではなく、アカデミー賞で見たハビエル・バルデムであり、幾分、いやだいぶ怖くないはずなのだが、わたしはこの舅が嫌いだ。いつもわたしをいやらしい目で見るのが耐えられない。いつか犯されるのではないかと二人きりになることを避けている。だいたい家に帰って一番に目にしたのが、上半身がはだけた浴衣姿の舅が柱に登って舌を出して喜んでいるという狂った光景だ。とてもじゃないけど耐えられない。

夜になったので布団を敷いて寝ようとすると、舅はわたしと夫の間に寝転んだ。いつものことだが、新婚のわたしにはとても許せない。このときばかりは非常に腹が立ったので、こんな小さな長屋で舅と住まわせるような、同じ布団で寝かせるような、甲斐性の無い夫に向かってわたしのまだ開けていないタバコ、マルボロ・メンソールを投げつけた。すると舅が夫をかばって手でよけた。これもまた許せない。買い置きのマルボロ・メンソールはまだいくつもあったので、続けざまに2、3個投げつけても、また舅がブロックするのが許せない。

腹の虫が収まらないので夫に飛び乗って、マウントポジションを取り、夫の顔を両手で思い切り引っ張ってやった。夫は顔が小さいが、目も鼻も口も全て小作りで、印象の薄い顔立ちをしている。その印象の薄さを、人が良さそうだと勘違いして結婚したけれど、全てが失敗だと思えてきた。

そんなことを思いながら夫の顔を力任せに引っ張っていると、人間の皮膚とは思えないほど簡単に中央から裂け始めた。舅が「やっと気付いたか」と笑っている。わたしは中から本当の夫が現れるのではないかと思った。理想の夫が。全てを変えてくれる夫が。大嫌いな舅やこの長屋から解放してくれる夫が。

口の辺りが完全に裂け、兎唇のようになったとき、それは幻だと気付いた。どんどん裂けてきた。もう眉間の辺りまで避けてきた。中に居るのは理想の夫ではない。ぬらぬらとした灰色の肌の、バタリアンのような風貌だ。ただの化け物じゃないか。わたしは絶望した。

ふと気付くと家の周りが騒がしい。近所の住民が家の周りに押し寄せてきているようだ。家の玄関はまるで商店のように、いくつものすりガラスの引き戸になっているので、彼らの姿が見えた。普通のおばちゃんやおっさんたちだった。しかしきっとこの人たちも全てバタリアンなんだろう。今はまだ、開けなさい、とわたしに呼びかけているが、きっとそのうちに実力行使に出るに違いない。このままだと簡単に進入されてしまう、とおもったわたしは一つの引き戸につっかえ棒を設置したが、他の引き戸が簡単に開いてしまうのは明白だ。

つっかえ棒がどうしても足りない、と絶望して目が覚めた。

目が覚めて、ゾンビが出てくるのにショッピングモール部分じゃないのが納得いかなかった。